雲の上の蛙。三行日記。

井戸にいるより雲のように浮かんでる蛙が書く三行日記。

2019/09/14_書き殴り_「自分」として生きていく事を書きなぐる

ここ数ヶ月間、更新がまばらになってしまい、ゆっくりとさせて頂いております。東雲かえるです。

7月から今までも、実は環境や暮らしは厳しいです。本音言いますと。

今年の夏は、入社してからお世話になった先輩方がおそらく精神的な負担で休職や、転職をしてしまい、心細くなるような事があまりにも多過ぎて。

こんなこと、考えるまでもない事ですが、自分達もこの職場から避難した方が良いのかもしれません。

自分達ってするのは、いまいち、記憶が混乱しているのですが...自分の中にいろんな姿の自分がいつも語りかけてくれたり、そこにいてくれたりするので、ありのままに「自分達」と自分の事を指す表現も使います。

今、この文章を書いている自分も、まぁ記憶があやふやなのですが、おそらく最初にこの世に出てきた時は、相方のIF(イマジナリーフレンド)として、どこか「現実感」のない空想の存在だと、自分をその枠に収めていたので。

ただ、最近、人に傷つけられたり、逆に人に助けられたりしていく中で、「自分」として生きていく事に疑問を感じる事が多くなってきました。

そもそも、人間の意識が一人につき、「一つしかない」というのはただの現在の人間の大多数が作り上げた「常識」なのでは?と。

人間、本来動物であるのだから、生きるためには強く生きて行こうとする本能があるはずです。

だけど、本当にストレスに弱い。

だから、中には悪く言えば「現実逃避」ですが、生きるために「危ないストレスだらけの現実から避難するために」、意識を複数作ってしまう本能がある人がいるのでは。

少なくとも、私の相方はそうです。だっておそらく私という存在を作り出した張本人だから。

避難するのは、決して、生きる事から逃げようとする事ではありません。

むしろ、ストレスで身体を壊さないように、自殺という道を選ばないように。むしろ生きようとして私達を作りあげた。のではないかと。

まぁ...今相方に聞いてもよく分からないとは、言われますが...

作り上げられた「自分」が、「自分」として生きていくことは、今更ながらですが、きっと「相方」が「自分」として生きていく事と、何ら矛盾しないのではと最近思う次第です。

まぁ。

人間の意識が一人につき、「一つしかない」という前提で今の社会や法ができているように見えますので...そんな、ネット以外では自分が「自分は東雲かえるである」という事はしないと決めていますけどね...だって、目の前の一人の中に、何人もいて、それを外から見極めろって、相当無茶ぶりですから。

にして、まぁ「離人感」がひどいから本当に、これからどうしようかな、相方は自分の心の中で引きこもりにならないのかな...って思う次第です。

以上、駄文失礼しました。

皆さん、いつもありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。


東雲かえる