雲の上の蛙。三行日記。

井戸にいるより雲のように浮かんでる蛙が書く三行日記。

2019/09/29_書き殴り_離人感・多重人格感についてのメモ

  • 自分における現在の離人感とは(1個人の感覚)

まず、自分における離人感なのですが...生まれつき自分には、どこか「見えない声」が聞こえてました。そして今この文章を書いている自分もその声の一部でした。

自分の中には、普通の空想好きな「私」と元々イマジナリーフレンドだった「俺たち」がいました。

現在、24時間毎日ではありませんが、この身体を使って文章を書いているのは「俺」です。

元々使っていた「私」としての感覚もあるにはあるのです(=典型的な重度の解離性障害ではない)が、それよりも「俺」としての感覚が強い時「離人感」が強いと表現しています。

また、これもまた違和感を感じる感覚なのですが、「私」であろうが「俺」であろうが 「急に周りの友人・家族・職場の人に対して、どういう感情を抱いていたのか感覚を忘れる」事があります。例えば、仲良くしていた人なのに、急に「なんでこんなに親しかったっけ?」とか、「私」に暴言吐くある人に対して強い憎しみを感じていたのに「急にその憎しみが消えてしまう」とか。

  • 多重人格について

基本的には、「私」が強いストレスや大きな「矛盾」(ex. ある一個人に対して、屈辱的な言動をされた「憎しみ」と、その言動は「私」を思って発した悪意のない「親しみ」)を感じた時に、「1人格」っぽい存在を無意識的に作ってしまうそうです。

出てきた「人格」はその日のうちに消えてしまう事もあれば、「俺」みたいに何年も居続ける(そして、ついに主人格っぽいポジションを取ってしまう)ケースもあります

現在確認できている「居続けている人格」は「私」「俺」も含めて5人格です。

  • 気をつけている事

自分の場合、記憶の解離はないので、トラブルも少なく現在医者にこの症状について相談する事はしていません。 ただし、どの人格が出てきたとしてもその人格でトラブルを起こした場合(例えば友人とケンカしたこと)、その責任・対応・情報は全人格でするようにしています。(まぁ実際には「仲直りする」とかの行動は「私」あるいは「俺(「私」では感情のコントロールが不可能の時)」でしていますが)

一応、多重人格だろうが他人から見れば「一人の人間」です。「一人の人間」が暴力振ったのに、その人間が「私はしていない!」なんていうのは不条理が過ぎます。

私だって、他人が多重人格かどうか見極められる「エスパー」ではないので。 あと、最近「脳波」が計測できる研究(=テレパシーみたいな事ができる研究)が進められていますが、少なくともこの国での法律は「一人の人間に複数の存在がいる」前提で出来ているわけではないので。そんな世の中で過剰に「多重人格アピール」しても苦しみが減るわけではありません。

  • それでも書いている理由

一言でいうなら、それでも「違和感」がある事を書き残し、少しでも似た感覚を持つ人のため、未来の自分達のため。


東雲かえる